『すべてを信じ、すべてを疑え』

一人のしがない若者の人生と政治と哲学と思想と読書の備忘録です。政治で解決出来ない問題を啓蒙で解決しようと日々もがいている啓蒙思想(仮)の持ち主です。言論による極端な思想へのワクチンを作り出す気持ちで自分をも啓蒙する勢いで自意識過剰気味に綴っていきます。

維新とは実験である

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大阪府市エネルギー戦略会議の提案がいろんな意味で面白い

節電に積極的に取り組む店舗を紹介する「節電チャレンジSHOP」という提案は、酷いコネなどがない限りはデメリットは無いので、積極的に行って欲しい。

しかし、住民による通報で、中小事業者に節電を促すという「節電通報窓口の設置」という提案には驚いた。

この提案をみて、改めて橋下徹は実験政治家なのだと実感した。
※今回の大阪府市エネルギー戦略会議には橋下徹市長が顧問として招致した(つまりその人の思想を信頼した)方々が関わっているので今回の提案も橋下徹市長の志向が反映されていると判断。


維新とは実験である。
実験は失敗しても『成功の母である』として肯定できる。
しかし、最終的に成功を産み出さない限り、実験は同業者以外には評価されない。
その『最終的に成功できるか』の信頼の点で、大阪維新の会をどうみるかのズレが起こるのだと思う。

ちなみにこのやり方は明らかに保守ではなく革新よりだと思う。
保守思想は実験ではなく手堅く成功する方法を取るだろう。

それなのに橋下を「教育委員会に批判的」「憲法改正」という二点をもって「保守政治家」だといい放つ『八木秀次』などの方々は本当に意味がわからない。

保守を「自分が好きな主張の集まり」と位置付けるのはいい加減にやめて欲しいものだ。
     

事故後に法令違反が指摘される意味とは?

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関越道で乗客7人が死亡する事故を起こした運転手を雇っていたバス運行会社「陸援隊」が、事故後に特別監査を受けたところ、36の法令違反があったと指摘された、という報道を見た。

この報道で私は考えた。
事故を起こしてから法令違反を指摘することに意味はあるのだろうか、と。

法令は何のために存在しているのだろう。
多分、事故を予防するためという目的もあるはずだ。
しかし、今回の流れを見ると、法令違反をしていても、事故を起こさない限りは、指摘も発覚もしないということのようだ。

事故が起きやすいであろう法令違反運営をしていても、事故を起こさない限り、なにも指摘できない。
そんな監視下で、いくら法制化しても、なにも効果はないのではないだろうか。

今回の事故が起きた遠因に「法令違反の監視の甘さ」があるのではないか。
少なくとも、今のままでは、法令は「事故を起こした側に同情できる材料があるかどうか」を量る物差しの一つにしかならないだろう。
※理想は法令の監視下でなくても安全運転ができる体制を自然と構築できる業界になることだが。

     

家庭教育支援条例は「思想・良心の自由」の侵害ではないか?

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大阪維新の会の家庭教育支援条例が話題になっている。

特に問題視されたのは発達障害を予防できると認識していることについてであった。
それについては、私より豊富な知識を元にした批判をされている方々がいるのでここでは詳しくは触れない。

私はそのような(重要な)細部の認識ではなく、もっと漠然とした部分について書いていく。
それはこの条例の題名から湧く疑問なのだが、なぜ支援する先の名称が「育児」ではなく「家庭教育」なのか?というものである。


「家庭教育」とは何なのか、それを考えてみる。

「家庭教育」には「家庭での教育」「家庭への教育」「家庭という概念の周知という教育」の3つが有るのだと思う。

「家庭での教育」は普通の「育児」の中の一部分(本の読み聞かせなど)だろう。この部分を支援するだけなら、まだ納得しようがある。


「家庭への教育」
今回の条例の主軸の一つにはこれがある。正しく「家庭での教育」が行われるようにするために「家庭での教育」を行う、家庭の中心である「親」を教育するという考え方だ。
この考え方は条例の前文の「これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方にくれる父母が増えている」という現状認識を元にして考えられた方向性だろう。


そして、「親になる心の準備」をあらかじめ整えるために行われるのが「家庭という概念の周知という教育」である
これに関して条例案では、12条と13条にて「(1)家族、家庭、愛着形成の重要性(2)父性的関わり、母性的関わりの重要性(3)結婚、子作りの意義」を基本にした、道徳副読本と家庭科副読本を作成し授業で使用、道徳副読本は家庭用まで作り配布するようだ。
さて、ここまでくれば、支援する先が「育児」ではなく「家庭教育」だった理由がわかる。

この条例の目的は、行政を利用した、特定思想の認定、周知に他ならない。

日本国憲法19条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」というものがある。
今回の条例は「学校教育にて特定の思想の教育を行うこと」と「子どもの検診時などに親に講習を実施し、母子手帳に参加記録(つまりどれだけ学んだか)を記載する」という形での思想侵害と言って良いと思う。
このような違憲スレスレの条例を当たり前のように書き上げる大阪維新の会の議員が信用できないのは当たり前なのだが、それ以上に、これに類似した条例は大阪以外では注目されていないだけで成立している危険性が高いと思われる(この条例のもとの思想である「親学」は国会議員連盟ができるほど浸透している思想である)。

その成立している、またはこれから成立する可能性のある条例に影響を与えるくらいに強力な否定をされることを願っています。

「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち

「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち


著 者:本田 由紀


販売元:勁草書房

発売日:2008-02-25


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とりあえず維新の会大阪市議団提出の家庭教育支援条例の元ネタの親学についてメモ

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『親学』の国会議員連盟が2012年の4月10日に発足していると産経新聞が報じている(下村博文氏のブログにも書かれている)

メンバーは
『「親学」推進議員連盟の設立総会があり、国会議員49人、代理32人、合計81人と、民間のNPOや活動団体等約180人が集まり、盛大にスタートできた。』
『安倍晋三元総理が会長となり、民主党の鳩山由紀夫元総理(渦中の人だが出席していた)、渡部恒三元副議長、山口那津男公明党代表、みんなの党、たちあがれ日本などの議員も出席し超党派の議連となり、私が事務局長となり司会を務めた。』
(下村博文氏のブログ記事『「親学」推進議員連盟の設立総会』より引用)


『会長には安倍晋三元総理が就任、木村治美(共立女子大学名誉教授)、高橋史朗(明星大学教授)が提言、各党の議員が活発に意見交換しました。
 会長代行には高木義明(民主)、副会長には町村信孝、伊吹文明、河村健夫、中曽根弘文、小坂憲次、塩谷立(以上自民)、小沢鋭仁、羽田雄一郎、三井辨雄、牧義夫、田島一成(以上民主)、池坊保子(公明)、江口克彦(みんな)、中山恭子(たちあがれ)、荒井広幸(新党改革)らが、幹事長には鈴木寛(民)、事務局長には下村博文(自民)が就任しました。』
(千葉市議会議員 田沼隆志氏のブログ記事『国会でも親学推進議員連盟設立!』)

内容は
『「親になるための学び」「親としての学び」や、保護者や中学・高校生たちの1日保育士・幼稚園教諭体験の実施、親子の絆を深める子守唄と親守唄(詩)の推進など、メニューはたくさんそろっている。』
(再び下村博文氏のブログより引用)

とあの条例と似ているように思える

これは『親学』が地方から中央に影響力を伸ばしている事を示しているように思う
嫌な感じがする


     

犯人に鉄槌を下したがる人を見て自己を律す

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京都で起こされた暴走事故は非常に痛ましい事故であった。
もし神がこの世を見ているのならば、真の犯人には、奪った命の分だけ辛い人生になる運命にする判断を下していただきたいと願うばかりである。
しかし、その神の裁きは、あくまでも神が行うものであり、平凡な一人間が行うものではない。

もちろん又吉イエスが行うものでもない。

あの暴走事故の犯人の名前として真偽不明な名前らしき文字列がネットでは流されている。最初に真偽を判断し保証している人や組織は明らかな形では存在していない。

私はもちろんこの『犯人の名前を探しだして拡散する』行為を好まない。

これは『ブラックリストを公表する』と同じ行為である。
安倍晋三元総理の『再チャレンジできる社会』という理想をぶち壊す行為である。
私はそれを好まない

しかも、『誰が最初に保証したのかわからない』という状態は非常に悪い。
責任を持って保証する人間がいないということは、責任を持って訂正する、つまりこの情報を受け入れた人が再び受け入れられる訂正情報を流せる人が存在しない状態になる可能性がある。

そんな可能性のある情報を嬉々として拡散する方々は、上杉隆の情報を嬉々として拡散する方々と同類である。
二つの情報は『最初に正しさを保証した人間が見えない』という点で同じである。


ちなみに今回の情報は『車に乗っていたのは三人』という情報を元にして探された結果である。
そして、運転手一人、同乗者二人の情報は流された。
二つも。


つまり現在、事故を起こした運転手一人の名前が二人分。事故を起こした車に同乗していた二人の名前が四人分流されている。

これを間違ってない情報だとしたいのか『在日(韓国人)だから一人二つの名前があるのだ』なんていう珍言を見かけた。
これは通名の指摘なのだろうが、まず通名は在日(韓国人)以外でも、どんな国籍の方でも取得可能である。
そして通名は一人一つまでしか取得できず、今回流された名前は全部日本名であった(在日の本名を匂わせる名前では無かったということ)

これを考慮すれば、『在日だから』という珍言が正しいわけはないことは直ぐにわかる。
それなのに平気で『在日』を持ち出し始める方はいい加減自分の発言の珍言ぶりに気付いてほしいものである。


今回名前を流し、拡散した方々は自らの手で犯人に裁きを下したい方々なのであろう。
そのような方々には、自らを神の遣い、または神だとでも思っているのであろうか。
ここまで自らの正しさを疑わないまま『裁き』という、他人の人生に手を突っ込む方々が私にはとても恐ろしい存在に思える。
私には神の方が、まだ慈悲がある存在に思えるのである。そして慈悲がある存在だからこそ、その裁きを受け入れる事ができるのではないだろうか。

私は当たり前だが、神のような正しさや慈悲を持ち合わせていない。
だからこそ自らの正しさを疑うことは絶対に忘れないようにしたいです。
     
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